このBlosxomではずっとMarkdown原理主義を貫いてきた。
Daring Fireballで供された Markdown.pl をパーサとして使っている。
‥‥のだけど、よそで世俗的なMarkdownばかり書いていたらさすがに辛くなってきたので、宗旨替えすることにした。
GFMやMultiMarkdownまでいくと俗っぽすぎるきらいがあるので、CommonMarkで手を打つ。
Blosxomプラグインを書く必要がある。
Cによるリファレンス実装であるところのcmarkを利用するのがいいと思った。
PerlにもCommonMarkモジュールというlibcmarkインタフェースが存在するのだけど、維持管理が面倒で二の足を踏む。
場当たり的にcmarkコマンドを叩くプラグインを書いてみた。
当然ながら変換処理自体は Markdown.pl より圧倒的に速いのだけど、コマンド実行のオーバーヘッドがやはり気になる。
いち記事ごとにプロセスを起動するというのも気分が良くない。
結局、libcmarkの cmark_markdown_to_html() をInline::Cで呼び出すかたちでひとまず落ち着いた。
メモリ管理まわりにいまいち自信が持てないのでソースは伏せる。
まあ100万回くらい回してもリークしてる様子はないし、所詮CGIプログラムなのでリークしていたところで実害もないのだけど、SVを正しく管理できてるかわからない。
CommonMarkモジュールのパッケージがGentooにあれば迷わず使っていたとは思う。
そうでなくとも使うべきだとも思う。
g-cpanは避けたいしCartonも使わなくなってしまったので、Perlモジュールの維持管理に対する心理的ハードルが上がってしまっている。
すこし前の話。
仕事でそこそこのボリュームのMarkdown文書を書くことになった。
諸般の事情から主に会社のWindows機で書いていて、しばらくはVisual Studio Codeで頑張っていたのだけど、ある日ついに限界に達した。
WindowsでEmacsといえば遠い昔にMeadowを使ったことがあって、正直あまり良い印象はなかったのだけど、ものは試しと思ってGNU公式のWindows向けインストーラを使ってみたらいい感じに動いてしまった。
IMEとの相性はだいぶ厳しく感じたので、package.el をはじめて(そう、はじめて)使ってddskkを入れてみたら、これまたいい感じに動いてしまった。
ついでに markdown-mode.el もサクっとインストールして、一抹の満足感とともに文書を書き進めた。
おかしなもので、EmacsをMacやリモートのLinuxで使っていても小指がShiftキーを探すようになってしまった。
気が向いたときだけ使えばいいんだし、と思ってそいつらにもddskkをインストールしたら、待ってましたとばかりに手がC-x C-jを叩く。
SKKなんて最後に使ったのがいつだったかすら思い出せないのに、本当に不思議でしょうがない。
以前、目にした記事を思い出す。
グイドは「Emacsは新しいエンジニアには本当にオススメしない(つまり使うな)」と言っていて、
その理由として「It just exists for old brain compatibility.(古い頭脳との互換性のために存在している)」と述べている。
風になりたい奴だけがEmacsを使えばいい2020 | 日々、とんは語る。
思い返せばEmacsと出会って20年以上が経っていた。
使う頻度は仕事柄もあってかVimのほうが高いのだけど、汎用テキストエディタとして使う気にはまったくなれない(みんな入力モードとIMEの操作にどう折り合いをつけてるわけ?)。
VS Codeや少し前だとAtomなんかを試した時期もあったのだけど、なんだかどうも他人行儀というか疎外感というか、こう、安心して背中を預けられない感覚みたいなものが拭えなかった。
これも古い頭脳の一つの表出なのだろう。
長い付き合いとはいえ正直こっちはElispもろくに書けないのだけど、それでも、少なくともまだ当分の間は、こんな素人の面倒も変わらず見てくれるだろうなという信頼がある。
そんな安心感を守りつづけてくれている開発者とユーザのコミュニティに感謝しかない。
髭剃りにフェザーのポピュラーという両刃カミソリを使いはじめた。
これがなかなかいい。
もともと昨今主流の首振り・多枚刃が苦手で、シックのスーパーIIプラスXを使っていた。
それと比べると、ヘッドの大きさが少し気になるくらいでほとんど違和感はない。
毎日剃るほうではなく深剃りを求めないこともあってか、剃り味にも満足している。
ホルダーは小売店で見かけないので取り寄せたけれど、替え刃はたいていのドラッグストアに奥ゆかしく並んでいるのもいい。
カートリッジを見て感じる「これを使い捨てるのか」という後ろめたさが薄いのもいいし、価格が手頃なのもいい。
両刃カミソリというジャンル自体が今ではニッチだと思うけれど、歴史に裏打ちされたクラシックな良さがある。